yatohikoのブログ【酒と泪と男と???】

まあ日々の徒然ってことです・・・

”初めて被災地に行って見て、聞いて、触って”

昨年10月に初めて被災地を訪れました。
(一日目)
仙台→三陸自動車道経由で南三陸町→さんさん商店街で昼食→南三陸復興まちづくり情報センターで復興事業概要説明→防災庁舎、工事現場視察→仙台宿泊 

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(二日目)

 閖上地域視察→南相馬沿岸地域を走行して除線作業地域視察→福島第一原発付近通過→双葉町・富岡町→いわき

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宮城県は復興工事の進捗状況は別にして、工事はそれなりに進んでいて活気もあるし、何かしら人が動いていて活力を感じる。
福島県の20km圏内に入ると少しずつ感じが変わってくる。工事関係者以外の人を見かけなくなり、生活感を感じなくなってきた。6号線のあちこちに猪と衝突注意の看板があり、国道6号線と交差する道はすべてバリケードとガードマン。

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帰還困難区域の中で富岡駅周辺だけは車の外に出ることが許されていた。被災した建物がそのまんま残っている。ものすごく、なんとも言えない違和感と寂寞感がある。個人の建物だから勝手に取り壊せないみたいだ。ニュースで見るのと実際見て感じるのはこれほど違うものなのかと。

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今回の被災地訪問では東海地震はこんな感じになるのかなと、寂しいというか、大変だというか、でもまだ大丈夫だという気持ちが入り交じっていた。

・・・自分で何が大丈夫なんだよというツッコミを入れながら・・・

 

この本は、去年の夏くらいに買って積ん読状態でした。
不登校になった友人の息子とライターが被災地を廻る旅に出て、触発され、感じて心に変化が起き、前に歩き出したというドキュメントノベルです。

希望の地図 重松清幻冬舎文庫

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 釜石の人々がいかに挫折を希望の糧にしてきたかを調べることは、これからの日本の進む道を考えることにもつながる。
「釜石の人たちに話を伺ってみると、”だいじょうぶ”という一言が大事なんだなあ、と気づかされます。挫折をしてもだいじょうぶなんだと、と・・・」
それは、震災という大きな挫折をへたあとも変わらない。
「釜石の行きつけの飲み屋の女将さんはいつもいい気な声で笑うんです。”どうせ笑うなら、大きな声で笑ったほうが気持ちいいから”って」
その店も津波で流されてしまった。だが、「命は何とか助かったわけだから、また大きな声で笑っていると思いますよ」

そもそも希望とは与えられるものなのか。自分の外で光り輝いているものなのか。さらにいえば、希望とは未来にあるものなのか?
そうではない。希望はいまの自分の中にある。
順風満帆の未来を照らす希望は、「夢」「期待」「理想」と置き換えられる。それももちろん大切なのだが、僕がここで話したいのは、逆境に陥ったときに初めてその存在に気づく、今を乗り切るための希望について・・・。