当たりまえの毎日
日々是好日(にちにちこれこうにち)
毎日がよい日だ、という意味の禅語です。
日本人の心、伝えます 千玄室 茶道裏千家第十五代・前家元(幻冬舎)
よい日とは、いったいどんな一日をいうのでしょうか?
仕事がうまくいった、誰かに褒められた、宝くじに当たった・・・。
人によって答えは様々で、そのどれもが幸いには違いありません。
ただ、好日とは、そのように何か特別な出来事があった日ではないのです。
お茶の教えに、利休七則というものがあります。
茶は服のよきように点て
炭は湯の沸くように置き
夏は涼しく冬は暖かに
花は野にあるように
刻限は早めに
降らずとも雨の用意
相客に心せよ
千利休が弟子に
「茶の湯とはどのようなものですか」
と尋ねられた時の答えです。
ずいぶんと当たり前の内容なので、弟子も
「その程度であれば私もよく知っています。」
と言いました。
すると利休は
「もしこれができたなら、私はあなたの弟子になりましょう」
と返答します。
このやりとりを聞いた大徳寺の笑嶺和尚は
「利休の答えは、至極もっともである。すべての悪行はせず、すべての善行はどんどんするべきだというのは、幼い子供でも知っている。しかし、八十歳のろうじんでも、それを実行するのはなかなか困難なものだ」
当たり前のことを当たり前にやる。それがいかに難しいか。
今日一日を振り返って、自分を飾らずにすごせたか?
他人に不愉快な思いをさせなかったか?
当たり前のことができるように、自分なりに努めたか?
答えが「はい」なら、今日という日は好日です。たとえ、何の変哲も無い一日だったとしても、最良の日です。
毎日 心が平安でいられることは・・・自分はまずありえない。
何かしら心が揺れることがある。
そんな中でも一瞬の平安の積み重ねなんだろうな。
熊本や大分の人たちに早く平安な日々が来ますように。