年がら年中・・・
僕にとって今年のスギ花粉は、軽かったと思ったら、4月に入ってヒノキで目がかゆい。
GW前にも少し目がかゆい・・・イネ科?
それとも会社前の街路にあるイチョウ?
それとも散歩道にあるコナラ?クリ?松?
何に反応しているんだか。
10年前くらいのある日、仕事をしていたら突然鼻水ダーダー(涙)
背中ゾクゾク・・・風邪か?
頭はボーとボケたよう。
2~3年前くらいから症状は軽くなったんだが、なんとなく年がら年中反応してしまっているような感じ。
競争しない競争戦略”消耗戦から脱する3つの選択”
早稲田大学ビジネススクール教授 山田英夫(日本経済新聞出版社)
本の表題と花粉症とは何の関係もない。
読んでいて、なんとなく人間は植物よりずっと後から自然界に生まれたんだから、こちらから体を慣らして、うまく棲み分けるというか、うまく共生していかなくてはと連想してしまった(笑)
[競争に関する生物学(生態学)からの教え]
生物において、最も重要なことは”生き残る”ことである。
生物は、異種の生物との”種間競争”と、同種の生物との”種内競争”の2つの競争に立ち向かわなくてはならない。
前者の競争では、強い者が生き残り、弱い者は滅んでしまう。
その結果、ナンバーワンしか生き残れないというのが自然界の掟である。
それにもかかわらず、自然界には多種多様な生物が暮らしている。
そこには、”棲み分け”および”共生”があるからである。
気の休まる場所
居酒屋ぼったくり 秋川滝美(アルファポリス)
近所にちょうど5周年になる割烹があります。
大将の料理は美味しいし、ちょっと(だいぶんかも)おっちょこちょいな女将さんがいい感じです。
ほんとまれに大将が疲れているのか塩がきつい時があるかな・・・。
このあたりは名古屋でも下町に属するところなのでお高いところは流行りません。
会計をする時には、”ほんとこれでいいの?”って思う時もしばしば・・・。
錦の七掛けってところかな。
たまに着け忘れている物があるので、こちらから申告すると、
「よくお客さんから言われるんです!」って、明るく笑って照れる女将さん。
常連客もついて、いつも良く流行っている。
そのわりには儲かっていない感じ。
お客さんに安くて美味しい料理を食べて欲しい一心のようだ。
嬉しい限り。
できるだけ長く続けて欲しいものです。
ここに常時置いてある日本酒は厳選辛口吉乃川なんですが、僕は純米酒しか飲まないので、今まで飲んでなかったのです。
この本を読んで、一度試しに燗酒を飲んでみたら確かに旨い。
気持ちよく酔っ払いました(笑)
男は、今度は酒だけを口に含む。
「この酒も・・・旨いな。なんていう酒?」
「吉乃川の厳選辛口です」
「それって・・・」
男は思わず、猪口の中の酒をまじまじと見つめてしまった。
吉乃川は新潟の名酒である。淡麗辛口を地で行く新潟の酒の中でも秀逸と誉れ高い。吉乃川と銘打たれている酒にもいろいろなタイプがあるが、厳選辛口というのはその中でも廉価な部類である。
新潟の酒特有のスッキリとした辛口で、良くも悪くも万人向け。旨い酒には違いなかったが、他を凌駕するほどではないと思っていた。その厳選辛口が燗にするとこんなに印象を変えるなんて知らなかった。
当たりまえの毎日
日々是好日(にちにちこれこうにち)
毎日がよい日だ、という意味の禅語です。
日本人の心、伝えます 千玄室 茶道裏千家第十五代・前家元(幻冬舎)
よい日とは、いったいどんな一日をいうのでしょうか?
仕事がうまくいった、誰かに褒められた、宝くじに当たった・・・。
人によって答えは様々で、そのどれもが幸いには違いありません。
ただ、好日とは、そのように何か特別な出来事があった日ではないのです。
お茶の教えに、利休七則というものがあります。
茶は服のよきように点て
炭は湯の沸くように置き
夏は涼しく冬は暖かに
花は野にあるように
刻限は早めに
降らずとも雨の用意
相客に心せよ
千利休が弟子に
「茶の湯とはどのようなものですか」
と尋ねられた時の答えです。
ずいぶんと当たり前の内容なので、弟子も
「その程度であれば私もよく知っています。」
と言いました。
すると利休は
「もしこれができたなら、私はあなたの弟子になりましょう」
と返答します。
このやりとりを聞いた大徳寺の笑嶺和尚は
「利休の答えは、至極もっともである。すべての悪行はせず、すべての善行はどんどんするべきだというのは、幼い子供でも知っている。しかし、八十歳のろうじんでも、それを実行するのはなかなか困難なものだ」
当たり前のことを当たり前にやる。それがいかに難しいか。
今日一日を振り返って、自分を飾らずにすごせたか?
他人に不愉快な思いをさせなかったか?
当たり前のことができるように、自分なりに努めたか?
答えが「はい」なら、今日という日は好日です。たとえ、何の変哲も無い一日だったとしても、最良の日です。
毎日 心が平安でいられることは・・・自分はまずありえない。
何かしら心が揺れることがある。
そんな中でも一瞬の平安の積み重ねなんだろうな。
熊本や大分の人たちに早く平安な日々が来ますように。
切ないなぁ・・・親孝行
東京出張の新幹線の中で一気読み。後半部分では涙ぐんでベソをかいている自分がちょっと恥ずかしいやら可笑しいやら・・・。浅田次郎さんは罪な人ですね。
年老いた親が病気になったり、経済的にうまくいかなかったり、いやな人間関係があったり、自分の人生とラップするようなところがあったり。
そんな中で、曇りのち雨、いつのまにか晴。
ただ、全員が晴れるわけではない。
影を背負ってくれている人がいるから、それがわかるから染みてくる。
僕にもそろそろ80になろうとしている母が田舎でひとり住まいをしています。
母に対してやれることをやってはいるつもりですが、理想とはかけ離れているなとも感じます。
現実の世界ではやれることを精一杯やるしかないよね。
本当に精一杯してるの?って自分に疑問がわくときが多いですけど・・・。
主人公が夢の中で親父としゃべっている場面
良かった頃の俺は、おふくろのことなんてこれっぽっちも考えちゃいなかった。
たまに女房に小遣いを持たせて、様子を見に行かせた。誕生日とか、母の日とか。
立派なもんじゃないか。忙しかったんだから仕方ないさ。
忙しくなんか無かったよ。忙しいふりをしていただけさ。ただ---面倒だったんだ。
それでいい。親を面倒だと思うくらい自立していたんだ。おかあさんはよくわかってたはずだよ。毎朝仏壇に手を合わせて、こう言っていた。やっとみんな一人前になりました、ってな。それでいいんだ。子供に厄介になりたいなんて思わないよ、親は。
おふくろがどう考えていたかはいいよ。そうじゃなくって、どうして豊かだったころの俺はお袋のことを考えなくて、貧乏をしてにっちもさっちもいかなくなった今---。
それが貧乏のありがたさというやつさ。金で買えないものがあるってことを、貧乏人はよく知っている。
忘れるということ
2014年に 仲 里依紗主演でNHKドラマになったようです。
(僕は知りませんでしたが)
テツコの夫は7年前に25歳で死んでしまった。
いまも一緒に暮らす父のギフ、テツコの恋人、夫の幼なじみなど、周囲の人たちの物語を紡ぎながら、夫そして息子の死を受け入れていくストーリー。
毎日のいろいろな出来事に対して、すべて時間が解決するという事ではないけど、時間と共にいろんなことが変化していく中で、心も変化して、そして心が納得していくんだな。
酔っ払ったギフが饒舌に人生を語る。
「人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」
重松清さんが解説をしています。
僕たちはきっと皆、我知らず、様々なものに囚われている。たとえば自分の感情に、例えば人間関係に、たとえば社会の常識に、たとえば過去に、たとえば未来に、たとえば目の前のいまの暮らしに、囚われて、ここから逃げ出したいのに身動きがとれなくなってしまって、キツイ思いをしている。時として、そのキツさを自覚することすらできずに、気づかないまま、ひどく疲れてしまっている。
僕たちは皆、一瞬の開放で肩の荷を下ろしたあとも、また新たな肩の荷を負ってしまう。
「悲しいかな、人はいつも何かにとらわれながら生きていますからねえ」
電話、メール、SNS・・・つながりすぎない
2011年の漢字にも選ばれたように震災以後 ”絆”というワードが巷にブームになりました。
絆っていえばきれいに聞こえるので、少し違和感を覚えていました。
気にしない練習 名取芳彦(三笠書房)
「新明解国語辞典」で絆を調べると、
①家族相互の間にごく自然に生じる愛着の念や、親しく交わっている人同士の間に生じる断ちがたい一体感。 ②何らかのきっかけで生じた、今まで比較的疎遠出会った者同士の必然的な結びつき。
とあります。
ところが、漢和辞典の「漢字源」を見ると、絆には一つも良い意味がありません。
(名)馬の足にからめてしばるひも。また人を束縛する義理、人情などのたとえ。
(動)つなぐ。しばって自由に行動できなくする。
つまり、絆は注意しないとあなたをしばるのです。寂しさを埋めるために、必要以上に絆を求めて人とつながりすぎると、心の自由がなくなってきます。
なんでも距離感ってすごく大事だなと思います。もちろん家族の中でも。それは冷たいとかそういう意味ではなくて。このことを言葉で表すのは僕には語彙が少ないです。
順境もよし、それと同じくらい逆境もまたよし
順境の時もあれば、逆境の時もあります。順境の時より、逆境の時の方が心に残っています。というより心のどこかで拘泥しているのかもしれませんが。
ただ、逆境の時の方が学ぶことが多いというか、深い感じがしています。順境の時はどちらかというと怠け心や邪な心がもたげてくるので、懲りん自分だなと感じます。
気にしない練習 名取芳彦(三笠書房)
”どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように”は、逆境の時でも感謝の心を忘れなければ、心は凍り付くことなく、保温されるという希望を与えてくれます。
”しゃがみ込んだら、ジャンプのチャンス”はしゃがみたくなるほどの状況になった時、今は次のジャンプのために膝を曲げた状態だと思うことができて、時を待つ覚悟ができます。
真っ正面から堂々と受け止める覚悟さえあれば、自分を高める材料になるはずなのです。
逆境を心待ちにはしたくないですが、真正面から堂々と受け止める覚悟を持ち、
”山より大きい獅子はでない”という気持ちでいたいものです。