裏切りなんて、当たり前のようにある
信頼している人に裏切られたり、去られたりすることが誰しもあると思います。
そんなとき、去る者は追わずとか、松下幸之助さんのように「やめる前に教えてくれ」なんて、頭でわかっていても心が追いつかないことがほとんど。
気にしない練習 名取芳彦(三笠書房)
私などは、親の期待や信頼を裏切り、任せてもらった仕事をうまくできないなど、多くの裏切りをしながら人生を渡ってきました。それは同時に、自分でやろうとしたことができないという点で、自分で自分を裏切ることになります。
私自身が不本意であろうと、故意であろうと、知らないうちであろうと人を裏切っているのですから、私が裏切られることがあるのも当たり前です。
つながりは、細い繊維のごとき縁がよりあったようなもの。ほつれもするし、切れもする。この糸をより太く、丈夫にして切れないようにするには、常に縁を加え続ける必要があります。何もしなければ、時の経過と共に糸は劣化していきます。
夫婦間の繋がりを強くしれくれる子供との縁。子供がいなくても、同じ時間、同じ空間を共有する夫婦の縁も強くなります。
それでも、ハサミの刃のような縁が加われば、糸は切れます。つまり、裏切り裏切られます。
出会いがあれば、別れもある。自分からなるべく人を裏切らないようにしていきたいし、裏切りなんてあるもんだと覚悟することが心を強くすることだ。
そう努力をして積み重ねていくしかないのでしょうね。
妙なところで引っかかってしまう
忘れよう、忘れようと思っていると、なぜか気になってしまう事ってあります。
仕事に集中している時はいいのですが、一段落した時などにぶり返してきます。
特に、夜中に目が覚めた時など、一瞬でも考えてしまうと大変。
ひとつのテーマを2ページでまとめてあり、約100テーマあります。
いくつか取り上げて残します。
気にしない練習 名取芳彦(三笠書房)
私たちは人生の多くの場面で、カメラマンのように一部分だけを切り取って
印象づける癖があります。
惨めな自分の心象風景を焼き付けてしまう人。怒っている自分を撮ってしまう人。屈辱を受けた時にカシャッとシャッターを切って人を恨み続けてしまう人。幸せだった過去の自分のワンカットを大切にして現在の不遇を嘆く人。
人生には、記憶にとどめるべきワンカットもあれば、被写体として選ばない方が良い情景もあります。
気にした方が良いことは、自分を高め、他人を安心させること。「こうした方が自分は良い方向に向かうだろう」「こうすればあの人は楽になるだろう」など、現状より向上する可能性があるなら、気にした方が良い。
気にしない方が良いことは、気にしても自分が向上できそうにもないこと、自分を惨めにするようなこと。それから、自分の力ではどうしようもないこと。
切り替えようとするんです。しかし、時にはなぜこんな事でこだわるんだって言うことありませんか。
平然と生きている
友人に勧められて読みました。
ストーリーの真ん中くらいまでは、「死ぬことだけが、愛する者たちの平安につながる。」なんて寂しすぎるストーリーだなと感じ、どんな結末に収束していくのかなと。
最終章の手前で、バラバラだった関係者がひとつに収束していく。
王妃の館も同じようなプロットでしたね。何となく結末が読めた・・・って思っていたのが浅はかでした。
主人公のお父さんが、登場人物の事情を背負って地獄に向かっていく時、亡くなった奥さんへの思いをカア坊(主人公)に伝えている場面が心にしみる。
カア坊。母さんに伝えてくれないか。
いつか向こうで会えたなら、手をついて謝るつもりだったのだが、とうさんのわがままでそれすらもできなくなってしまった。
自分の近しい人から幸せにしていくのが、人間としての道理だと思う。だが俺は、その道理がどうしてもできなかった。
戦では多くの部下を死なせた。シベリアの雪の中で見殺しにしてしまった。そんな俺が、愛していると言うだけの理由で、家族だと言うだけの理由で、誰にも先んじておまえを幸せにすることが出来ると思うか。
心から愛するお前に、ただの一度も愛の言葉をかけなかったわけはそれなんだ。愛していると口にすれば、俺はその言葉の責任において、お前を誰よりも幸せにしなければならなかったからだ。
本当は愛していると言いたかった。向こうで会えたなら、その時こそ声を限りに、百回も、千回も、一万回、百万回も、その言葉を口にしかった。
ちょっと観点が違うかもしれないけど、大人の流儀(伊集院静)に出てくる
「人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている」という一文を連想しました。
気がつかせていただける
お大師様のことを書いた本は種々雑多あるかと思います。学術的なものから、教えを解説したものなどなど。
私の中で小説風に書かれたお大師様の読み物に出会ったのは初めてかもしれません。
去年、知多新四国を初めてお遍路していたときに出会った本なので、この本に導かれたのかも・・・。
お遍路は私の病気平癒お礼ともう一つ祈願(ここでは内緒)をして廻りました。
2015年3月に始めて2016年1月に結願。一ヶ月に1日弱の休日を当てて、知多半島の東半分は歩き遍路、西半分は車で廻りました。全部を歩き遍路をしたかったのですが、節分までに結願をしたかったので後半は車で。
廻っているといろんなお寺さんがあります。端的に言えば丁寧に応対していただけるところとそうで無いところ。
丁寧、にこやかに御朱印を押していただけるとありがたく、うれしい。そうで無いとちょっとムッと下気持ちになったり、仕える身で有りながら何?っとこちら側の目線。
ある時、お遍路をする人のために誰かが365日留守番をしていなければならないんだと気がつきました。やらなければならない用事もあるだろうし、体調の具合もあるにもかかわらず。
誰かが応対していてくれる。僕に出来るか?と問われれば無理。と言うことは、そこにいていただけるだけで、ありがたいことなんだと気がつきました。
高野山を拓く前、先発の弟子の案内で初めて山に足を踏み入れ、弟子が道を誤り、迷ってしまったときのこと。
実慧はすっかり自信を失い師僧の判断に頼りたくなっているのだが、空海は口をつぐんだまま
「とんだところへ導きました」
実慧がわびると空海は、
「いや、道に迷うなど詫びるほどのことではない。正道に戻る復元力さえしっかりしていれば人生だって迷うだけ深くなる。道も迷えばこそ一生行けなかっただろうところにだって踏み込めるじゃないか」
仕事
テレビで林先生を見ない日は無いと言うくらい多忙な人ですね。本を読む限りでは仕事に対する考え方はオーソドックスな感じがします。そして、成功している人に共通している”ブレない”ところが林先生たるゆえんなのかもと言う気がします。
林修の仕事原論 壁を破る37の方法(林修 青春出版社)
「真の人脈は仕事を通してしか広がらない」
真の人脈は、仕事を通して、しかもうまくいった仕事を通して初めて広がっていくものなのです。
一緒に仕事をしましょうとなったとします。その際、相手が僕にこれぐらいの仕事をやって欲しいと思った期待値を超えていくことが真の人脈につながります。そういう姿勢で取り組むことで、相手は「林さんに頼んで良かった。またお願いしよう」という気持ちになってくれるものです。だからこそ、まず相手の期待値の水準を読み、その上でそれを超えていかねばならないのです。
期待通りの仕事をすることももちろん大切です。しかし、それは当然のことであって、相手も織り込み済み。次につながるかどうかはわからないのです。
相手の期待値通りにやればそれで合格だと思う人も多いでしょうが、それは最低条件をクリアしたに過ぎないのです。
それに対して、相手の期待値を超えて「えっ?そこまでやってくれるんだ」という領域に飛び込めば、驚きを伴った真の感謝を得られます。それが「じゃあ、次もよろしく」という展開を生むものなのです。
ノルマをこなせば合格と思うか、なんとしても期待値を超えてやると思うか。その気構えの違いは、すべてにおいて決定的な差をもたらします。
私たちもお客様から愛される会社になるためには、引き続き声をかけていただくにはこういう気構えで仕事をすることが大事なんだと再認識します。
「時間を管理する意識を持つ」
”毎日の仕事が忙しくて、家族を大事にしたり、自分を高めたりするヒマが無い”と嘆く人には、ドラッカーの言葉を贈りましょう。
【時間の使い方は練習によって改善できる。 だが、絶えず努力しない限り仕事に流される】
時間に使われるのでは無く、自分が時間を使う意識を強く持って下さい。そのために、例えばまず一週間という時間を自分で支配するという感覚を養うのです。
「この一週間はこういう風に過ごしていこう、その中ではこんなトラブルが起きるかもしれない」。
このように、予測し、対策を立て、時間に使われるのでは無く、時間を管理するのです。
真剣に一週間を過ごせば、自分の中でペースの上がりやすい時間、上がりにくい時間などが見えてくるはずです。一週間を管理できたら、同じことを4回繰り返せば一ヶ月頑張ることが出来ます。そして半年、一年と続けられるでしょう。
この世での平等は一日24時間。
多忙な人になればなるほど時間をコントロールしてますね。うまくコントロールしなければ人生のバランスが取れないんだと思います。
新入社員を迎えて
無事、ささやかながらも入社式を終えることができました。
今ある自分は、過去が積み重なってきた自分です。
将来、未来の自分は、今から積み重ねていく自分です。
夢を持ってそれを実現するため努力をすることは大切です。
でも、先のことばかり考えず、まずは足下をしっかりと見つめ、
毎日毎日を大切に生きて欲しいと思います。
セブン&ホールディングスの鈴木会長が、「社会で日々仕事に取り組む多くの若い人たちにも伝えることができないか」という主旨でまとめられた講話のような本です。
挑戦は特別なことではなく、実は誰もが自分の生活の中でやっていることです。
100メートルを15秒で走っていた人が、いきなり10秒を目指そうとしても、それは無謀でしかありません。しかし、自分の実力を伸ばそうと、様々なトレーニングを自らに課しながら、記録を0.5秒ずつでも短縮しようとするのは、挑戦と言えます。気づいた時には、自分でも驚くほど実力がついている。
私自身、悩むことはしょっちゅうあります。ただ、多少年を重ねてきた経験から言えば、悩みはいつか乗り越えられます。大切なのは、我慢をしていれば誰かが解決してくれるわけではなく、自分で挑戦することによってのみ、悩みは乗り越えられると言うことです。それも自分の頭で考え、実行していかなければなりません。